大國魂神社の稲荷神社
まず眷属様にご挨拶
いつも通っている府中の神社には稲荷神社があり、眷属様の狐像が左右にいらっしゃいます。
実は、眷属様にまずご挨拶してから、神様に取り次いで頂いて、本殿に向かうという礼儀を知りませんでした。
ある日、本屋でふと気なって手にした本に、まず眷属様にご挨拶する大切さや意味が書かれており、それ以降、必ず、この稲荷神社に参拝してから、本殿に向かうようにしています。
神様に怒られてはいませんが、こうするといいよ、と諭して頂きました。
眷属様にまず参拝の目的を伝えると、眷属様が神様に取り次いでくださるそうです。
最初の頃は、狐像の目が怖かったのですが、今は平気になりました。
「人のつながり」神社の神様のメッセージ
縦横の人のつながり
少し前に、いつも通っている府中の神社にこの日も参拝に行きました。神社の境内は涼しい風が吹いていました。
神社の神様からメッセージを頂けるように、境内に入った瞬間からできるだけ雑念を取り払って神様の存在とつながるようなイメージを持つようにして歩いていきます。
神社の神様に参拝時に「いつもありがとうございます。もし進むべき先についてお言葉があれば教えてください」とお願いしました。そして本殿の裏にあるご神木の方に歩いていきました。
とつぜん神様から「つながり」というイメージが伝わってきました。
その後、すこしずつ「つながり」の意味がわかってきました。それはご先祖様から代々つながってきて今の自分がある時間的な縦の「つながり」と、いろいろな人との関わりの中で生きている横の関係の「つながり」です。
人は一人だけで生きているのではなく、時間的な縦のつながりと、横の関係のつながりの中でお互いに影響を受けたり、影響を与えたりして生きています。決して、人は孤独ではありません。ご先祖様のしたことが今の自分に影響していて、今の自分がすることが将来の子孫に影響します。今、私がしていることは誰かを直接的か間接的に助けることになり、逆に、誰かがしてくれたことが将来の私の人生に良い影響を与えてくれます。
「つながり」を意識するといいよ、と神様が諭してくれたように思います。
このように「つながり」の意味がわかったら、目の前にとても美しいクロアゲハ蝶が飛んできました。神様から「メッセージはあなたに伝わったよ」と言われたような気がしました。
カッコいい府中東照宮の狛犬様
カッコいいお姿
いつも通っている府中の神社(大國魂神社)の境内にある東照宮に参拝しました。
いつもは失礼ながら東照宮はあまり参拝できていませんでした。この日は大國魂神社の神様と全部の神社にお参りすることにしました。
その中でも東照宮でご挨拶をさせて頂いていると、両側の狛犬様と目が合い、とても「カッコいい」と思ってしまいました。
心の中でお許しを頂いてから両側の狛犬様のアップを撮影しました。
そして帰ろうとしたら、何か圧迫感を感じ、ふと大國魂神社の境内にはたくさんの狛犬様がいらっしゃったことを思い出しました。
その圧迫感は西側の鳥居門の狛犬様からでした。「おれを撮らないのか?」というパワーを感じて、写真を撮りました。やはり「カッコいい!」と思ってしまいました。
(こちらの狛犬様(獅子様?)に「おれを撮らないで帰るのか?」と怒られてしまいました。)
「失礼しました」とようやく帰ろうとしたら、遠くの方から圧迫感を感じました。
「おれを忘れていないか?」という圧迫感でした。
大國魂神社の大鳥居門にいらっしゃる狛犬様・獅子様からのメッセージだとすぐわかりました。
この日はあまり時間がなく、失礼をお詫びして次参拝時に大鳥居門の狛犬様・獅子様のお写真を撮らせて頂くことでお許し頂きました。
何年も通っている大國魂神社ですが、狛犬様・獅子様の写真を撮ったのははじめてのことでした。
でも、東照宮の狛犬様・獅子様の写真を撮っていることを知られて他の狛犬様・獅子様からすごく圧迫感を感じたのは驚きでした。(実は嬉しかったです)
次回、もっと丁寧にお参りすることにしました。
光の束
神様のことを聞いてみたら
これからブログに書くべきことを決めるために、いつもかよっている府中の神社の神様に率直に聞いてみました。
「神様とはどういう存在ですか?」「私はいったいどういう存在ですか?」
私は神様の声が直接聞こえません。神様のお姿も見えません。ただ、神社のご神木の近くに行って心を落ち着けていると、なんらかのメッセージを感ることができるようになり、それをブログに書くようになりました。
あらためて、「神様って何だろう?」と素朴な疑問がわいてきたので、ストレートに聞いてみました。
そうしたら3つメッセージを頂きました。絵にうまく書けないのですができるだけ受け取ったイメージを描写してみます。
1つめ: 神様的な存在は、いろいろな波長が重なった光の束(ものすごくきらきらして明るく光っている)
2つめ:人間はある波長の光で、多くの人間の波長が重なると神様的な存在に近づく
人間と神との間を遮るものは何もない(どこからが人間、どこからが神という区別できるものはない)
どんな波長の光も大切で、意味がある
(人生で体験することすべてに価値があり、意味がある。それは神様的な存在につながっていくということ?)
3つ目:(私へのメッセージのよう)船の櫂(かい)を渡されたイメージが伝ってきました。
「これからライトワーカーとして自分で漕ぎなさいという意味と理解しました」
神様って、白髭の賢者のような方が姿をあらわすのかなぁと勝手に想像していましたが、全然違いました。頂いたメッセージをもっと自分なりに租借して、わかりやすく伝えていかないといけないと感じています。
もっと人生を楽しむ
神社の神様のメッセージ
いつも通っている府中の神社で、ご神木の近くで気付きとなるメッセージを頂いています。この日は清々しい天気でした。そのせいか、境内に入るととても穏やかで平和な雰囲気が感じられました。
いつものように稲荷神社の眷属様にご挨拶をした後、本殿で日々見守って頂いていることへの感謝をお伝えし、本殿裏にあるご神木の方に歩いていきました。
「私が進むべき道についてアドバイス頂けることがあればお願いします」と心の中で念じました。
そうすると「楽しむ」というイメージが伝わってきました。「もっと生きることを楽しんでいい」ということでした。
人生には不安が付きまといます。これから何が起きるか予測できないときは、決心ができないときもあります。
しかし、「どんなことも心配しないで大丈夫だから楽しむ」という心構えでいると、心が落ち着き、そして自信が生れてきます。
なるようになる、と腹をくくる感じでしょうか。
この日頂いたメッセージは、他の方にも届くように一緒に本殿の写真も張ることにしました。写真にも神様のパワーが残っていることがあるからです。必要とされている方にこの神様のメッセージが伝われば幸いです。
生きていると日々悩みはつきものです。一瞬でもそういう悩んでいる自分を忘れて、ワクワクすることができている自分、なりたい自分の姿をイメージしてみると何かが変わりそうです。
谷保天満宮(五社宮)写真のパワー
スマホに保存した写真
まだコロナ感染が騒がれる以前のころ、仕事面で精神的に疲弊してしまっていました。何十人ものチームを率いていましたが全員が成果がだせるようにサポートをしていたため、逆に自分が疲れ切っていたようです。
気が付いたら谷保天満宮の五社宮に通うようになっていました。そのときにいつも神様のお力を頂けるようにふと写真を撮りました。それをスマホに保存していました。
悩みをスピリチュアルカウンセラーに方に相談したときに、その話題になり、その五社宮の写真を見せたところ、そのカウンセラーの方はスピリチュアルな能力が高い方で、いきなり「ワッ!」と腕に電流が走ったようで「鳥肌が立ちました!」と言われました。写真を通じて神様のパワーがそのカウンセラーの方に伝わったようです。
そしてスピリチュアルカウンセラーの方は私の状況を理解してくださいました。谷保天満宮の五社宮の神様は、私のことを見守ってくださっていたようです。その後も谷保天満宮に参拝するときはいつも五社宮と左の三郎殿にお参りしています。
ふだんとても物静かで奥深い五社宮の神様と道武公ですが、参拝する人のことをちゃんと見守ってくださっていて、本当に困ったときは強力なパワーで助けてくださいます。そのことの感謝とお礼を込めて写真を掲載しました。
(谷保天満宮の五社宮)
ご先祖様の徳
厳しい時代でも他人を思いやる心
ご先祖様をもっと知りたくて家系図をつくってきました。情報源は本籍地の役所から戸籍の附票を取り寄せるしかありません。一代ずつさかのぼりながら戸籍の附票からご先祖様の氏名、生年月日、亡くなった日、当時の本籍地、子供や親の名前などがわかります。
でもその方たちの人となりは、当時を知っている親や親せきから聞くしかありません。でもそういう会話はご先祖様からつながる今を再確認できてとても価値があることです。
いろいろと調べていくと、ご先祖様の中にとても徳を積まれた方がいらっしゃいました。その方は女性で、明治、大正、昭和初期の厳しい時代の中でも他人を思いやる心をもった慈悲深い方でした。当時の日本には地方によっては差別が残っていました。しかしそのご先祖様の女性は、差別されている方々にも平等に接して経済的にも精神的にも助けてあげたそうです。
きっと当時の社会で、まわりと違ったことをすることは勇気のいることだったと思います。それをやった方はやさしさだけでなく、とても芯の強い方だったのでしょう。このように人として徳を積まれたご先祖様の存在は、家系図を作るまで知りませんでした。
家系図を作ることはご先祖様の供養になりますが、その一方で、私にはそういうご先祖様にみられてもはずかしくない人生を歩んでいきたいと考えるようになりました。