oakwoodforest’s blog

神社の神様について

人を救うことの難しさ

多くの人を救うことは難しい

 

数年前のこと、府中にある大きな神社でお祭りのときに大太鼓をたたかせて頂く機会を偶然得ました。

何人か列に並んだ最後が私でした。そして、一発だけ思いっきり大太鼓を叩きました。そのときは東京中に音が届け!という気合で叩こうとしました。急に同時に「多くの人を救いたい」と心の中で叫びました。前から準備していたのではなく、太鼓を叩こうとした瞬間に心(魂)から湧いてきました。

 

私はそのときに「多くの人を救いたい」と心で強く願いながら太鼓を叩いたことで、神社の神様が私のことを覚えてくれて、その後、私のことを「神社においで」と呼んでくれたんだと思います。

 

ただ、「(多くの)人を救うこと」は私にとっては過去生からのテーマであり課題であったようです。私の過去生で中世ヨーロッパの医療従事者のときは、ペストで多くの人が亡くなる中で奮闘し、人を救えなかったことを悔やんでいました。そして絶望感を味わったようです。それが「もう現場に立ちたくない」という過去生の私の声をスピリチュアルカウンセラーの方が聞き取ってくれました。

 

今生でも、私はついつい困っている人を助けてあげることが美徳、つまり救ってあげることが必要だし、私はそれができる、と信じて生きてきました。その結果、救うというより自分も精神的に疲弊してしまって神社の神様に救いを求めるようになりました。ハイヤーセルフは私に「もうやるべきことはやった。過去を手放しなさい」という感じで導いてくれたようです。

 

人を救ことは難しいです。確かに本当に困っていて助けてあげないといけないときはあります。そしてそれを躊躇することは私はできません。しかし、実はその人を救うのが私の使命ではないときもあります。そのときはその人の人生がそう決めてきた(選んできた)ものであって、それによってその人は何かを学んでいるのだと。その学びが邪魔をされないように簡単にはその人は救えません。だれでも救えるんだと思うのは身勝手、自信過剰すぎるのでしょう。またそういう人を救える人が他にいると信じることも必要です。

 

「世界中の人の命を救いたい」というメッセージが掲示された病院があり、そこを通るときに、とてもその思いに共感する同時に、「でも全員は救えない場合もある」という思いが湧いてきます。とても複雑な気持ちです。これは今生で私のテーマとして考え続けていきます。